首相動静があるように、ケツに青みを残したまま大人になった不肖たちにも日々、なんらかの動静がある。

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Tバックを断罪せよ

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女の尻にフォーカスしたアダルトビデオというのは、どうしてああもTバック礼賛の思想に裏打ちされたものが多いのだろう。統計的なデータを弾き出したわけではないけれど、僕個人の実感としては、猫もしゃくしもTバック、ブスもオババもTバック、そういった様相を呈しているように思われてならない。看過できない実態だ。

 

考えてもみてほしい。Tバックの造作を。あんなのはもう、ほとんど尻ではないか。いずれむき身にされ、いやほど眼前に展開するであろうはずの尻が、フライング気味にプルプルと揺れている。ガサツな扱いを受けている。ただそれだけのことではないか。物事には段階というものがある。当然に踏まれるべき手続きを何食わぬ顔ですっ飛ばし、強引に尻だけを押しつける。これはもはや暴挙と断ずるよりほかない。

一方で、尻全体を包み込むタイプはどうか。すばらしいのである。まず何より着用時、どこからどこまでが尻であるか、腹部ならびに大腿部と峻別している点がよろしい。ああ、この人の尻圏はこれくらいなのだなとの判断が、極めて容易なのである。「尻フェチ」などという言葉を大々的に喧伝する以上、尻圏の把握は欠くべからざる要件だと思う。どこからどこまでが尻であるかを理解して初めて、真っ当に尻を愛でることができるように思う。そうは感じぬ人もいようが、Tバックなんぞには決してマネのできない芸当であることは確かだ。

無論、フルバックであれば先ほど述べた尻のフライング問題なども起こりえない。身ぐるみを完全にはいでしまうまで、適切なステップを踏みつつ事態は進展していく。心に準備期間を、気持ちに猶予を与えてくれるというわけだ。その点、Tバックはどうだろう。はしごを外すだけではないか。治療費の請求はどうすればいいのか。プロダクションあてでいいのか。

これは何も、映像コンテンツに限った話ではなくて、実地にも適用されうることだと思うが、いち個人の選択について、僕風情がギャアギャアわめいても仕方のないことである。しかし、業界ぐるみのできごととなれば、話は違う。アダルトビデオ制作に携わる諸氏においては、Tバックこそが端的にわいせつ性を高めるといった認識が蔓延しているように疑われてならない。だからこそ、僕は言いたい。いまこそ訣別を、AVマン諸君! さようなら、Tバック

文末になってしまったが、パンティラインがうんぬんといったTバックの機能性に関して、非難の目を向けているわけではないということは、きっちり申し添えておきたい。ともかくも、安易なTバックへの傾斜が、必ずしも万人に受け入れられるものではないことを、志を同じくする人の存在を信じて、筆を置くことにしたい。

 

関根“デッカオ”浩司